NISHIO GARAGE


Release 2002     

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2002  Vol. 14 issued Dec. 10


SUBARU Six-Star Sports Meeting in 大阪

 

ペターのサービス精神がさらにパワーアップ

〜 相変わらずの「全開」ぶりに、ファンもすっかり乗せられた? 〜

 

 

またしても雨

STI の恐怖の雨男・K山くんが不吉な笑みを浮かべて予告したとおり、12月8日の大阪は雨になった。今年は大阪の目玉プログラム「勝ち抜きスーパーSS」は開催されず、イベントの内容は東京とまったく同じ。ちがうのはトミ・マキネンがペター・ソルバーグと入れ替わったくらいか。

 

というわけで、ゲスト出演者たちの仕事は9時30分のサイン会から始まった。ペターは去年と同じく大きな声でファンに挨拶しながらサインをしている。今年は直前に初優勝したということで余計にハイになっているのか、あるいは、ジョージ・ドナルドソンとはお笑いコンビなのか、しゃべりまくってるという感じ。ジョージのほうもこのイベントに慣れて、かなりマイペース。というわけで、東京では20分ぐらいでサイン会が終わったのに、こちらでは30分をちょっとオーバーしてしまった。

 

そこで休む間もなくオークション。今回はペターがグレートブリテンで使ったクルマのパーツが出されている。WRCの優勝車、しかも、ペター・ソルバーグの記念すべきWRC初勝利のクルマとあって、オークション参加者からは「ゼッタイにゲットする!!」という並々ならぬ気合が感じられた。

 

と、ペターが途中で何やら桂田社長に耳打ち。最後の品(SWRTのリュック)は、ペターが競り落とし、それにみんなで(新井くんとジョージも)サインして舞台から投げてプレゼントする、というアイデアだった。社長も賛成し、ペターは「イチマンエン、と言うからね」とヒソヒソ声で確認。あやや、「イチマンエン」では他のモノに比べてちょっと安いのでは?と思ったが、ペターにここで「ニマンエン」などと教えてるヒマもなさそうなので、それで決行することになった。 リュックが555円からセリにかけられると、あっと言う間に値段は数千円に。6000円ぐらいになったところでペターが舞台から下に飛び降り、8000円という声が出たところで新井くんが「今だ、いけ!」と合図。「イチマンエン!」というペターの声に、社長が「では、それで決めましょう」と、めでたくシナリオどおりで落札した。

 

オークションが終了して控室へ戻るペターに、STIスタッフが「お金ちゃんと払ってよ」と声をかけると、「ジョージ、払っといて」。イチマンエンがいくらなのか知らないジョージが、「いくらなの?」と聞くと、新井くんがすかさず「100ポンド(2万円)だよ、ぎゃはは!」とウソをつく。結局、あのお金は誰が払ったのか、あるいは誰も払わなかったのか?

 

トークショー第1ラウンド

トークショーはもちろんグレート・ブリテンの話から。初めての優勝を目前にしてレグ3は「全開で攻めた」と言うが、「最後のいくつかのステージでは自分の限界を超えていた。最後まで無事に走れたから優勝できたが、いつリタイヤしてもおかしくなかった」とも。こんな戦いを経て、彼はドライバーとしてまたひと回り成長したはずだ。

 

「最終戦の優勝でドライバーズポイントは一気に2位になりましたが、突然何があったのですか?」という質問に、ペターは、「突然そうなったわけではなく、1戦1戦の積み重ねの結果だ」ということを強調した。ラリーとは難しい競技で、実力があってもそれがそのまま結果にストレートに反映されるわけではない。今年のパフォーマンスであれば、本来は、もっとずっと早い時期に2位になっていてもよかったはずなのに、なかなかうまくいかず最終戦まで遅れてしまった、と言う。前週にジョージが言ったのと、ほぼ同じ内容だ。つまり、スバルワールドラリーチームの誰にとっても、今年はそういう年だったのだろう。

 

マキネンの加入については、「精神的な面で、自分にとってもチームにとっても、とても大きな影響力があった」と言う。4度の世界チャンピオンという途方もない記録を持つマキネンには、やはりそれを可能にするだけの目に見えない強い力があるようだ。「彼を中心にして、チームの士気が高まり、勝つことをめざしてチームが一丸となった」とペターは言った。

 

「でもね、あのね、ドライバーにも“感情”ってものが、やっぱりあるんだよ」と、自分のお腹や胸をおさえて何やら意味ありげな顔で言うペター。新井くんが解説するには、「精神的にも、クルマのセッティングのうえでも、リチャードよりもトミのほうがやりやすいみたいなんだ。」 それも今年の躍進の一因なのでしょうね。

 

ちなみに、これを聞いた西尾雄次郎が言うには、「そらそうやろな。ドライバーがいい仕事をするには精神的な環境を整えることが必要で、好き嫌いというより、なんというか、同じチームにいてストレスなく付き合えるというのは、とても大事なことや。」「ではやはり、コドライバーとの相性も大事?」と聞いてみたら、「コドライバーは、それ以上の存在やな。ストレスなく付き合えるだけでなく、ドライバーの能力を最大限に引き出せる相手でないと・・・」 うえ〜、それはタイヘンな仕事やねえ。

 

トップドライバーになるために通るべき道

さて、ここでペターの経歴をちょっと振り返ってみる。ラリーを始めてたった2年3か月でWRCのワークスチーム(フォード)入りし、急きょピンチヒッターで出たWRC初出場のサファリで5位入賞。翌年のアクロポリスで初ベストタイム記録。そして同じ年の10月にはスバルに引き抜かれた。ワークスに入るまではノルウェー国内で20戦のラリーに出場しリタイヤは1回だけ、フォードでの最初の1年もほとんど完走しコンスタントに10位以内に入っていた。ところが、ベストタイムが出るころからリタイヤ率も高くなり、スバルに入ってもしばらくは「ちょっと速く走るとすぐリタイヤする」ドライバーだった。

 

 「それまではすごく完走率の高いステディなドライバーだったのに、スバルに入った頃は、リタイヤすることが多かったですね。そういう時期というのはドライバーには必ずあるものなんでしょうか?」と聞いてみると、ペターは、「いい質問だね」とまず言った後、当時を振り返って話し始めた。

 

 「スバルに入った頃は、精神的にとてもきつかった。新しいチームに入り、まったくちがったクルマに乗らなくてはならない。ドライバーというものは、すべてがパーフェクトに整っていて始めて、安心してアクセルが踏めるものだと思う。それが、シーズン途中でチームもクルマも変わってしまったことで、僕は精神的にとても不安定だった。転倒したりコースアウトしたりという結果が続いて、正直なところ、あの当時は、ラリードライバーとして自分はもう終わりだ、とさえ思ったよ。」

 

 「でも、そんな僕を、チームのみんなは暖かく見守ってくれた。僕をずっと信頼しつづけてくれて、いつもあれこれと助けてくれた。お陰で僕は、少しずつ、徐々に自信を取り戻していくことができたんだ。そうして今では、WRCで優勝できるまでになったんだからね。」

 

 「ドライバーとしてやっていこうと思うと、ああいう時期は必ず一度は訪れるものだと思う。たいして速く走っているわけでもないのに、コースアウトや転倒ばかりしてしまうような時期がね。僕はそういうときに素晴らしいチームに恵まれて、そのおかげでこうしてドライバーとして成功できたのだと思う。」

 

 いい話じゃありませんか。スバルワールドラリーチームというのは、伝統的に「ドライバーを暖かく見守って育てる」というところがあるようです。かつてコリン・マクレーがそうだったし、リチャード・バーンズも元々はスバルで育ったと言ってもいいかもしれない。ペターにとってもこの経緯は非常に感慨深いものだったらしく、彼は、トークショーが終わって控え室に戻ると開口一番、「あの最後の質問は、ホントにいい質問だったよ!」と、もう一度言った。

 

「ホンモノのラリーをぜひ身に来て」

新井くんのデモランが終わると昼休み。雨が強くなったせいか、帰る人もけっこう多い。それでも我慢強く残っている人になんとか喜んでもらおうと、午後のオークションではまず、ペターが自分の着ているSWRTのジャケットを脱いでオークションに出品した。(といっても、新品をいったん着たというだけのことなんですが。)レーシングスーツも脱ごうとするなど、相変わらずのエンターティナーぶり。さらに、ゲスト全員がオークション中は帽子をかぶり、終了後にそれをサインして一斉に投げるという趣向も。

 

2回目のトークショーでは、冒頭まず、ジョージが「今日もこんなに雨が降ってお天気が悪くなったのは、私のせいです。皆さんにお詫びします。ごめんなさい」と、神妙に謝ってスタート。朝から、「毎回お天気のことでみんなに責められるけど、今日もまたこんな天気では、それも仕方がない」と言っていたぐらいなので、機先を制したというところか。

 

来年から採用される新しいポイントシステムについての見方や、マルッコ・マルティンとのライバル関係にはあっさりと答えたが、「ホンモノのラリーをぜひ見てほしい」という思いを語るときは、どうしても気持ちが熱くなるようだ。先週、新井くんが、「ぜひ、ホンモノのラリーを見に来て」と言ったが、やはりラリーをしている者たちは皆、同じ思いなのだろう。

 

ジョージは、「たしかにこのイベントは素晴らしい。でも、本当のラリーは、こんなふうに1日だけのものではなく、3日間にわたってさまざまな出来事がある。そういうラリーをたっぷり楽しんでもらえるように、日本でのWRC実現を心から願っている」と言った。ペターは、「こんなところでクルクル回るのがラリーじゃない。ものすごいスピードでクルマが目の前をぶっ飛んで行き、何十メートルもジャンプし、サイドウェイで駆け抜ける。それこそがラリーであり、僕たちがしているラリーとはそういうものだ。みんなにもぜひそれを見てほしい」と言った。

 

いよいよ全開!

そしていよいよデモランの同乗者の抽選。赤い字で書いているのは女性が多い、と新井くんが教えたので、ペターは赤い字で書いた抽選券を探し、まんまと女性の同乗者を選んだ。 (来年は抽選券に赤字で記入する人が急増するかも?)なんと その女性は新潟から一人でやってきたという。「東京よりも群馬よりも遠いところから、一人で来たんだって」とジョージに言うと、「ほう、じゃあ良かった !」と彼女に当たったことを喜んだ。

 

さあ、今年は一体何を見せてくれるか、という期待にたがわず、ペターの同乗走行はエンタテインメント性たっぷり。バックスピンターンからの見事な車庫入れに満場はため息、と思いきや、こんどはスタートゲート裏の狭いスペースでドーナツをしてハラハラさせる、とまたコースに出て行くと、走る予定ではなかったダート部分に入って行き、カメラマンたちの間をスラローム。人間パイロンと化したカメラマンたちの中には、最初逃げ惑う人もいたが、ヘタに動くよりはじっとしていたほうが安全というのがやがてわかったらしく、大人しく泥をかけられていた。

 

 そうして戻って来たペターの顔も、泥ハネがあちこちについている。「カンザイ、カンザイ?」と、もどかしそうな顔で話しかけるが、何が言いたいのかわからない。あれこれ意味不明の言葉をいっぱい並べた最後に、「Flat out」と言ったので、やっと彼が何を言いたかったのかわかった。「ゼンカイ!」「Ah,yes! Zenkai ! Zenkai!」 そういえば、この日はこれまで一言も「ゼンカイ」が出ていなかった。さすがに1年前の言葉は半分忘れていたようだが、今回思い出したことで、この言葉は彼の頭にしっかり定着することだろう。

 

 最後はフェンス際をファンと握手しつつ走りたかったらしく、「誰か運転して!」と言ったのだが、WRカーを運転できる人もそういないので(メカニックのスティーブとやらを探していたが、急に言われてもスグには呼べなかったので)、「いいよ、自分で運転する」と言うと、新井くんを助手席に乗せてまた出て行った。こうして、二人で箱乗りしつつフェンス際をゆっくり走っていく。雨は降るし、泥水は撥ねるし、「トシはエンジョイしてないね」とジョージは気の毒そうにつぶやいた。こうして今年も、スタッフはペターに度肝を抜かれつつ、なんとか無事にイベント終了までこぎつけたのだった。

 

 これで2002年の催し物はすべて終わり。しかし、もう来月にはWRC開幕が控えている。そしてその翌週には全日本ラリーも始まる。ラリーチームなんて、ホントに忙しくてタイヘンそう、と思うでしょ? でも、ラリーをしている人たちは、この忙しいのが楽しくてやめられない、らしいです。

 

Date  2002年12月8日
Place

大阪市此花区・舞洲スポーツアイランド

Weather  雨