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Release 2006         

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2006 Vol. 9 issued Sept. 11


 

北村和浩、初WRCは総合19位でフィニッシュ

 

〜  スバル車の上位クルーに送られる久世隆一郎メモリアルアワードも受賞 〜

 

 

 本格的ラリー参戦開始の初年度に、世界ラリー選手権(WRC)出場の切符を自らの努力と実力で手に入れた北村和浩。SS総距離350kmにわたる戦いは、彼にとって未知との遭遇の連続であり、心身ともにかつてない疲労を経験した3日間であったが、その奮闘は、総合19位完走と久世隆一郎メモリアルアワード受賞という大きな実を結んだ。この収穫は「ラリードライバー北村和浩」のさらなる成長への糧となるだろう。

 帯広駅前の特設会場で数万人に見守られてのセレモニアルスタート、その興奮もさめやらぬ翌9月1日、北村和浩・晝田満彦組は北愛国交流広場から初めてのWRCをスタートした。

 

 カーナンバー106という後方出走では、ダートラチャンプ北村は、ほとんどどのSSでも前走車に追いついてしまうと予想されたが、幸いなことに、十勝地方はラリーウィークに入って雨天続き。前走車のホコリに追いついてそれ以上は近寄れず、スロー走行を強いられる、という事態はなかった。追い越しのためのタイムロスもほぼ最小限ですみ、レグ1を総合25位で終了した。

 レグ1の成績に従って出走順が変更されるレグ2では、同じレベルのドライバーたちと同じ条件での勝負となる。だが「やっとこれから」と思った矢先、序盤・セクション3で、左 側の前後両方のサスペンションにトラブルが発生し、北村にとって思うにまかせないラリーが続く。しかしサスペンションをサービスで交換した後のセクション4は、クルマは完璧な状態に回復。「気持ち良く走れた」という北村は、順位を総合21位にあげてレグ2を終え、今回の参戦の第一目標である「完走」も視野に入り始めた。

 明けてレグ3・セクション5。高速でスリッパリーなSS22パンケニコロベツを北村が無事に終えたことを知り、チームがほっとしたのもつかの間、クルーから悲痛な電話がかかってきた。SS23ペンケで、ホイールが割れてSS中にタイヤ交換をせざるを得なくなり、大幅なタイムロスを喫したという。

 ホイール破損の原因は、砂利がホイールの内側に入ったときに掻き出すために装着されているスクレイパーと、ホイールとの間に小石が挟まったことだった。この小石が徐々にホイールを内側から削って、とうとうホイールを胴体部分で真っ二つに割ってしまったのだ。ホイールが割れたために裂けたタイヤのゴム やスチールワイヤが足回りにからみつき、それがタイヤ交換を手間取らせたことは容易に想像できる。しかし幸い足回りへのダメージはほとんどなく、サービスを終えるとクルマは再びもとの状態に回復。ホイール破損によるタイムロスも、危惧したよりはかなり少ない5分程度ですんだとわかった。

 最終SSとなったSS27オビヒロでは、プレッシャーから開放された北村が、初めて北村らしい走りを観衆に披露。対戦相手の大庭誠介ランサーを退けて、有終の美を飾った。また、PC-WRC部門以外のスバル車中3位を獲得し「久世隆一郎メモリアルアワード」の受賞も決まった。

 この賞は、昨年3月に急逝した初代スバルテクニカインターナショナル社長の故久世隆一郎氏の功績にちなみ、同社がその遺志を受け継いで、スバル車で活躍した選手に授与するもの。今回のラリージャパンでは、PC-WRC部門の上位3クルーと、PC-WRC以外のグループN部門の上位3クルーに贈られることがあらかじめ発表され、ラリー終了直後に北愛国サービスパーク内のスバルブースで表彰式が行われた。

 「うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある、それがラリーなのかな、とつくづく思った」というコドライバー晝田の言葉は、彼らの3日間の戦いを象徴するかのようだ。こうした経験の積み重ねが、ラリードライバーを鍛え、成長させていくと同時に、チームには教訓を与え、新たな課題を提示し、進歩の道筋を示唆するものなのだろう。

 ラリージャパンでの教訓と課題が、次の全日本ラリーにどう生かされるのか。第8戦キロロトラバースは、もう来週に迫っている。